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小説と駄文と感想を書くつもりです。

カロリー・メイト

カロリー・メイト

土乃目きこ

 

「なんだって君はいつもそればかり食べているんだ?」

 彼は僕の持つ栄養機能食品を指さしてそう言った。

「お前もついにか」

 僕は短くそう返す。僕と交友を持った人間は必ず僕の食生活に言及してくるのだが、たいていそれは一か月やそこらで起こるのだが、彼はずいぶんと時間がかかった。

 一か月と言うのは互いにまとわりついている――あるいは意識的につけている――固い角質のようなものが剥がれ落ちるのに十分な時間である。その中にあるのは几帳面さや食に対するポリシーや、エピキュリアンな一面であるかもしれないし、もしくは趣味嗜好への無頓着さや、体型を崩すまいとするストイックさかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、僕は後者の方に見られることが多いのだが。

「僕の知る限り、お前が一番遅かった。この質問を聞かれるまでに一年と二か月かかったのは初めてかもしれない」

 一年と二か月もあると、人間は互いに、相手のさらに奥深いところに触れることができる。そしてだいたいは、さらに厳重に折り重なった角質に触れることになる。深まれば深まるほど、相手から遠ざかっていく気がするのだ。

 心と言うのは玉ねぎなのかもしれない。僕は彼の頬張るホットドッグにかかったフライドオニオンを見てそう思った。どこまでが外皮で、どこからが玉ねぎなのか。どこまでも行けば、結局行きつくのは無であるような気がしてならない。自炊をする人であれば、玉ねぎとういうものがおおよそどの部位から構成されているか分かるのだろうが、なんせ僕は自炊をしないのだ。

「栄養の問題?」

 彼は僕のこれまでの人間関係などどうでもいいというように聞いてきた。まだ二口しか食べていないホットドッグはすでに半分以上無くなっている。口、というか、彼は全身が大きい。

「最初はそうだったけど、今は違う」

 僕は目の前にある黄色い箱の裏面を見つめた。なにやらごちゃごちゃと数字が並んでいるが、どうでもいいことだ。確かに僕は健康に気を使っているし、糖質や脂質に関しては摂取量を調節したりもしている。けどそれは本質的な問題じゃない、

「ちなみに、味が気に入っているとか、値段の問題でもないよ」

光沢のある二袋のパッケージ。中には二本ずつ、つまり計四本の棒状の固形物が入っている。目の前にあるのは茶色であるが、肌色の時もあるし、紫色の粒が混入している時もある。特にこだわりはない。それと、値段が多少高くなろうと僕はドラッグ・ストアでこれを買い続けるだろう。

「解せないな。俺の見る限りでは、君はそれを望んで食べているように思える。ずうと同じルーティンのなかで生きる人間と言うのは、たいていそこに惰性が見えてくるものだけど、君はどういうわけかそうじゃない。毎回それを意識的に選んでいるように見えるんだ。俺が今日、悩むに悩んでホットドッグを選んだように、君も君自身の意思決定の元でそれを選んだんじゃないか?」

 彼はガサツな男だが、妙な洞察力を持ち合わせている。先ほどから床にボロボロとトッピングを溢しているのには注意を払わない癖に、無味乾燥と評されるような僕に対して異常な観察眼で分析をしている。事実彼の眼には研究者を思わせるような迫力があった。

欲を言えば、その鋭いまなざしを床にも向けてほしいものだ。ここは僕の家なのだから。

「僕自身も分かっていないんだ。本当のところはね。けど最近色々と考えてみたら、少しだけど理論のようなものが作れたから、それでよければ話すよ」

「長くなる?」

「分からないな。でも、理論と言うものは長いものだと思う」

「じゃあ飲み物がいるな。ジンよりかはウイスキーがいいし、ウイスキーよりかはビールがいい」

「瓶ビールがあるけど。それでもいい?」

「いいね。君は?」

「お前が飲むなら」

 

 僕がハイネケンの蓋を抜いて二人分のグラスに注ごうとすると、「そのままでいい」と彼は言い、そのまま台所を物色し始めた。早いもので、彼はすでに二本目のホットドッグを食べ終えていた。

僕はグラスに注ぐ行為そのものが好きなので、自分の分だけ注いだ。体内音のような小気味良い音が耳に反響する。何かが満たされる音というのは自分も満たされるような気にさせてくれるのだ。

「こだわる男だよな。君は」

 彼は輪ゴムで留められたミックスナッツの袋と、ソーダ・クラッカーを持ってきた。

「しかし、この家には乾き物が多いな。さっき食べていたのもそうだが、それも『こだわり』なのかい?』

「こだわりと言うか、理論なんだ。これが」

「すると、君があの『リベリオン』に出てくるような、ディストピアじみた固形食を食うのも、乾物が好きだからか?」

「そうだよ。好きではないけど、安心するんだ」

「安心?」

 彼は眉をひそめて瓶ビールに口をつけた。いちいち乾杯をしないところが僕は結構好きである。

「乾物って、心無いように見えるだろ?」

「それは乾いているって言葉に、君のクオリアが引っ張られているんじゃないのか」

「そうかもしれない」

 僕もグラスを開ける勢いでハイネケンを飲む。苦いが、人が隣にいると不思議と美味く思える。あるいは、彼が上手そうに飲むからかもしれない。そもそも、普段飲まないビールを置いているのも、彼が足繫く僕の家に通うからなのだが。

「でも、これは事実なんだけど」

 ナッツを皿に広げて、アーモンドを手に取った。その表面は乾いている。

「僕の心は、心無いものを摂取したときに、ひどく安寧を感じるんだ。逆にだけど、心のこもったもの、手料理とかね。そういうものを口にすると、とても心が空虚になって、痛みが湧いてくるんだ」

 彼は口を挟まず、じっと僕を見た。大丈夫。まだ説明するさ。

「最初はこれが罪悪感だと思っていた。幸せになることへの恐怖と言うか、ストイシズムからくるものだと思っていたんだ。でも、多分そうじゃない」

「多分」

 彼は僕を追求するように言った。彼は要領を得ない話と、自身のない人間が嫌いだと、以前に言っていた。

「許してくれよ。自分のことを断言できる人間なんてまずいないし、断言できる奴は信用できないと僕は思うんだ」

「なんだっていいさ。それで、君の心の空虚さと痛みの原因は?」

 やれやれ、と僕は心の中で言った。彼の強情さは嫌いではないし、寧ろ好きな方だ。だがこうして詰問されると、緊張してしまう。

 僕はピスタチオの殻をむいてから、ゆっくりと言った。

「浸透圧のせいだ」

「シントウアツ」

 彼は再び僕の言葉を繰り返した。だがそこにはさきほどのような問い詰めるニュアンスはなく、純粋な疑問が感じられた。

「そう、浸透圧。液体が濃い方から薄い方へと流れるときに起こる圧力。口内炎に塩分がふれると痛むように、僕の心に『濃いもの』が触れると、痛みが起こるんだ」

 それを聞いた彼は、何も言わずに席を立った。見ると、瓶がすでに空になっている。

「冷蔵庫の二段目、瓶ビールはそこにあるよ。ハイネケンもまだ二、三本あったはず」

 僕はそう伝えた。しかし彼が持ってきたのは、スミノフだった。乳白色のガラス瓶に赤色のラベルが巻かれている。後で飲もうと思っていたのに。

「珍しいね。お前がスミノフ飲んでるのは見たことなかったけど」

「初めて飲む」

「なんでまた?」

「君が好きだっただろ、スミノフ。君が自分の話をするのは珍しいからな。せっかくなら君に合わせる」

「お前はそういうの、気にしない人間だと思ってたけど」

「そういう一面もあるのさ。君が気づいてなかっただけで」

 その言い方は何かを懐かしんでいるようだった。多分誰かが彼に「そういう一面」を植え付けたのだろう。僕ではないだれかが。

「それで、浸透圧だっけか。君のその偏食の原因は」

「偏食よりは、こだわりと言ってほしいけど」

 僕の言葉を無視して彼は続ける。

「つまりは、君自身が空虚で薄い存在だから、より強いもの、それこそ、誰かの温かい感情を摂取してしまうと、それに浸食されてしまう。結果的に自分が薄れていき、それが痛みに変換される」

「ありがとう、そういうこと」

 結構あやふやな話だったと思うが、どうやら伝わってくれたらしい。そうして僕が再びグラスに口をつけると、彼もスミノフを一気に飲み干した。

「すると、なんだ。君は自分のことを無価値な人間だと思っているわけかい?」

「少なくともね。お前の嫌いな、自信のないタイプの人間ではあるよ」

「別に構わないさ。そんなこと」

 彼は瓶をテーブルに置いた。二七五ミリリットルは、彼にとっての一口なのだ。

「いずれにせよ、君のそれはとても理論とは言えないな」

 彼は豪快に手で口元を拭い、それから何も言わずトイレへ行ってしまった。部屋には僕だけが残されて、なんだかハイネケンがまずく感じる。

 しばらく、僕は静寂の中に居た。目を閉じてみると、コポコポと僕の胃が揺れ動く音がした。中にあるのはハイネケンと、ピスタチオと、アーモンド。それと僕。

 

 僕は栄養機能食品だ。無味乾燥で、存在感が薄く、機能的だ。僕の四肢は四本の固形物で、胴体は黄色い箱なのだ。着ている服はアルミ質のパッケージで、背中に僕を構成するすべてが記載してある。つまり、僕は心無い人間なのだ。この心無いって言うのは、残虐とか、倫理観がないとかそういう意味ではなくて、自分がないという意味だ。

 何となく僕は立ち上がった。少しふらついた。多分頬は紅潮しているのだろ。僕は彼みたいに酒に強くない。

冷蔵庫を開けた。中にあるのは、ピーマンとタケノコ、それと牛肉が何パックか。それだけだ。明日は青椒肉絲を作る予定だ。彼が好きだから。

 下段を開けると、ハイネケンがあった。スミノフはなかった。彼が飲んだのが最後だった。

 その横のバスケットケースに目をやると、そこはやはり乾物であふれている。乾燥わかめやナッツ類。干ししいたけ。桃の缶詰があるが、これは彼が食べる。乾麺の袋、車麩、それと僕がある。

 やれやれ、と僕は呟いた。僕が僕のために買ったものは全て乾物で、あとはすべて彼のためのものだ。悲しいほどに、僕は機能的かつ一元的なのだ。

 その時、水洗トイレの音が聞こえて、彼がトイレから出て来た。

 僕は彼を見る。身長は百八十センチほどで、細いのに骨格が良いから、これまた大きく見える。指も僕より関節一個分は長いだろう。大食いで酒豪なのも、見た目にあっているし、そう思うと無造作に伸びた長い髪だって彼らしく見える。

「濃いなぁ、お前」

 僕がそう小さく言うと、彼はこちらを見た。その眼にはなにか、こちらへ浸出してくるような、ぬめらかでいて、確固としたものを感じる。

「君、もう酔ってるな。相変わらずだ」

 彼は軽く笑った。

「強い方が好き?」

「なんだっていいさ」

 それから少しして、心が痛んだ。

 

 ここだけの話だが、彼はよく栄養機能食品を食べるんだ。とはいっても週に一度ぐらいだけどね。