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小説と駄文と感想を書くつもりです。

合宿体験

 合宿、二泊三日。行ってきました。

 気温も落ち始めた九月の下旬。ぎりぎり夏が残っているうちに合宿に行けたのですが、これはよかったことなのか。確かに風流は感じられたのですが、旅先で暑さを感じる不快感と天秤にかけてみると、なんだか損をした気もします。

 場所は熱海で、大学の部活動の一環として行きました。初日は観光とBBQ、二日目は山奥のコテージで一日中駄弁りながらビブリオバトルしたり合評会したりカレー作ったりとだらだらしましたね。三日目の夜、都心の駅から一人山手線に揺られる帰り道。雨が降っていたのも相まって、ずいぶんさみしい思いをしたことを覚えています。帰宅後は久々に雨音に身をまかせて寝たのですが、目が覚めると一気に気温が下がっていて驚きましたよ。「夏が終わったんだな」と思いながら、クーラーを消して朝の空気をすうと秋のにおいがしましたね。季節のにおいが具体的にどんなものなのか未だに説明できないのですが、漠然とそう感じるんです。

 話がそれました。

 ちなみになんですが、僕はこれが初めての合宿だったんですよ。なんなら学校の修学旅行とかも発熱やらコロナやらで全然行けてないので、実質初めてといってもいい宿泊イベントなわけです。それはもう当然楽しみなわけですが、大学生にもなると心配の方が大きくなります。「部員とは言え、二日間も家族以外と床を同じくするのは……」という、漠然とした不安感が旅前にはありました。厄介なもので、純粋に楽しもうとしない自分がすぐに顔を出してくる。心の安寧を図るために、すべてを厭世的にみる自分の側面を、ストレスへの防衛機構として生み出してしまっているんです。

 ま、結果としては全然そんなことありませんでした。大学生にもなるとみんなある程度の良識は持っているようで、二日程度では負担にもならなかったですね。

 それでここから本題。僕が合宿中のふとした瞬間に家庭を幻視したという話です。もちろん実際に幻覚を見たわけではありません。しかし、僕が望む家庭というものが垣間見えたんです。それは同時に郷愁だったかもしれません。

「頼れる大人がいて、話の合う同年代がいて、従妹や親戚みたいな距離感の人もいる」

 僕は長いこと家庭の存在自体を否定してきたんですが、それは結局この状況を求めていただけだったのかもしれないんです。僕はもう随分早い時から家族団らんや親戚集まりというものと無縁になってしまったものですから、それがどんなものなのかいまいち理解していませんでした。今からそれを取り戻したいとは思いませんが、そういった空間が人間には必要なんだなとは思います。

 それぐらいには満たされた時間でしたね。ずっと逆張り精神で突っ張ってきたのを、やんわりと宥められた気分です。もしかしたら、反省以外の方法で反骨精神が治ったのは初めてかもしれません。ペンを取れば毒親を書いてしまう衝動も心なしか収まった気がします。ロック精神とは対象から離れていくより、むしろそれを求める心の動きなのかもしれません。

 大学生になってから、なんだか良くも悪くも視界が広くなった気がします。そのせいで、そしてそのおかげで、ますます自分が不安定になったように、同時に成長しているように感じます。それはこうして文章を書き始めたからかもしれません。いずれにせよ、僕はこの生活が気に入ってきています。

「これって合宿体験記ってより、卒業文集みたいじゃん。いいの? これ見返したら絶対恥ずかしくなるよ? 百パーデジタルタトゥーだってこれ」

「でもこういう大切なことは文章にしたいなって思うんだよ。自分の言葉って、結構な思い出になるし、残しておくに越したことはないはず」

「ふーん」